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| [No,527] |
元キャンディーズ・田中好子さん、急死! |
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| 先生@管理人 [神の領域!] [1020回(59768pt)] [2011/4/22(金) 午後9:33:21] |
元メンバーに死期近いこと告げていた・・・
スーちゃんが死んじゃった−。1970年代の高度成長期に一世を風びしたグループ、キャンディーズのメンバーで、解散後は女優として活躍した田中好子(たなか・よしこ、本名=小達好子)さんが21日午後7時4分、乳がんのため、東京・港区の国際医療福祉大学三田病院で亡くなった。55歳だった。20年近く前に乳がんを患い、人知れず治療を続けてきたが、今年2月に再入院。夫に訴え続けた「女優を続けたい」という願いは叶わなかった。(サンケイスポーツ)
女性グループアイドルの元祖、キャンディーズ時代はさわやかなお色気と歌でファンを魅了。1978年に解散後は女優に転身し、最近はお母さん役で世代を超えた人気者だったスーちゃんが突然、逝った。
この日午後10時半から病院で緊急会見した夫の実業家、小達一雄氏(56)によると、田中さんは21日午前7時ごろ、容体が急変。いつものように「おはよう」と声をかけたが応答がなく、その12時間後に亡くなった。
乳がんが発見されたのは、結婚から1年後の1992年だった。公表はせず、左胸の腫瘍を摘出する手術を受けたが、その後も何度か再発。そのたびに手術や放射線治療を受け、その間も女優などの仕事を続けてきた。
しかし、昨年10月に十二指腸潰瘍と診断されて入院し、今年2月に退院。2週間ほど自宅療養したが、体調が悪化したため、同月中に再入院した。検査の結果、乳がんは肺や肝臓など多臓器に転移。前日の20日までは意識もあったという。
田中さんは病床で小達さんに「どんな状況になっても復活する。女優を続けたい」と語り、最後まであきらめずに仕事への意欲を持ち続けた。先月7日に病室でフジテレビ系ミニ番組「森のささやき」(火曜後10・54)の3月放送分のナレーションを収録したが、それが最後の仕事に。女優としては、昨年10月に放送されたNHKのドラマ「てのひらのメモ」が遺作となった。
女優魂を最後まで燃やす一方で、今年に入って見舞いに来てくれたキャンディーズの元メンバーで女優の伊藤蘭(56)と藤村美樹さん(55)には、みずからの死期が近いことを告げていた。伊藤はこの日訃報を受け、ショック状態に陥っている。
今月8日は55歳の誕生日で、ブログに寄せられたファンのお祝いに「皆さんも健康に気をつけて頑張ってください」と返事を綴っていた。
73年9月、キャンディーズとして「あなたに夢中」で歌手デビュー。78年4月に「普通の女の子にもどりたい」と解散後は女優に転身。89年の映画「黒い雨」(今村昌平監督)で頭角を現し、94年にドラマ「家なき子」で母親役を演じてからは「優しいお母さん」役が板についていた。
実弟を骨肉腫で亡くし、1985年に義妹の女優、夏目雅子さん(享年27)を白血病で失ったことから、小達氏とともに骨髄移植などの啓発活動に尽力。常に弱い立場の人を思いやる姿勢が、穏やかな微笑みや演じた役柄ににじみ出ていた。 |
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| キャンディーズ再結成しなかった本当のワケ 酒井政利氏が激白! |
| 先生@管理人 [神の領域!] [1021回(59824pt)] [2011/4/22(金) 午後9:36:44] |
「キャンディーズの中でも、一番の健康優良児だったスーが…。運命は残酷ですね」
CBSソニー時代にプロデューサーとしてキャンディーズを育てたメディアプロデューサーの酒井政利氏(72)は21日深夜、突然の訃報に、しばらく絶句した。絞り出すようにアイドル時代を振り返る。
「美形のラン(伊藤蘭)に対して、おっとりしたスーは好対照。そこに知的な感じのミキ(藤村美樹)の三原色が絶妙でした。とくに雰囲気を和らげるスーの持ち味が、キャンディーズをぐっと親しみやすくしましたね」
当時人気を二分したピンク・レディーは小学生にも人気があったのに対し、キャンディーズには高校・大学生を中心とした親衛隊がついた。
「数あるヒットの中でも作家として伸び盛りだった穂口雄右さんの曲がソウルやR&Bを取り入れて斬新でした。とにかくスーをはじめ3人は熱心でマジメ。穂口さんの要求に応えて、一緒にJ−POPの元祖を築きあげました。私は彼女たちに、その年齢らしさを求めました」
デビュー当時はスーちゃんが務めたセンターが5枚目の「年下の男の子」からランちゃんに替わった(「わな」ではミキちゃんがセンター)。お姉さんイメージへの脱皮をはかったのだが、2人のライバル心を燃やす結果にもなった。現代のアイドル、AKB48がセンターにこだわることにも通じる話だ。
「スーとランは、ずっと仲がよかった。再三、望まれながら二度と『キャンディーズ』として再結成をしなかったのは、センターをめぐるプロ意識があったからだと私は思っています。解散してから2カ月ほどたったある時、六本木で偶然スーに会いました。『本当にキャンディーズは楽しかったです』と話してくれたあと、ふと寂しげな顔をしたことを覚えています。1人で厳しい世界を生きていく葛藤が表情に出たんでしょうか」
酒井さんに、キャンディーズの一番好きな曲をあげてもらった。
「『微笑みがえし』ですね。人気とともにスケジュールがきつくなり、真面目さゆえに言いたいことを言えなかった3人が『普通の女の子に戻りたい』と解散宣言をした。つらかったと思います。ファンへの恩返しとして歌ったのが、このうたです。穂口さんの傑作。彼女たちの卒業アルバムですね。明るくうたっていたスーの顔が忘れら |
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| Re: 元キャンディーズ・田中好子さん、急死! |
| 先生@管理人 [神の領域!] [1022回(59883pt)] [2011/4/22(金) 午後9:50:18] |
キャンディーズの中では、スーちゃん派でした!
少し天然というか、ボケッとした感じが好みなのかな?
何かショック・・・、小学生時代のアイドル! ご冥福をお祈り致します。 |
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| Re: 元キャンディーズ・田中好子さん、急死! |
| SEBさん [神の領域!] [259回(12302pt)] [2011/4/25(月) 午前12:31:49] |
幼稚園くらいでしたか、近所の友達と3人で誰派とかって言ってたかな。 んで、僕は先生と同じスーちゃん派でした。 あまりに遠い記憶なのでそれくらいしか思い出せないけど、女優として ドラマとか映画とか見てて、この人が母親役で出てる番組は安心して 見れたなと思います。 やっぱ癌って怖いですね。 |
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| 悲しみの弔辞 |
| 先生@管理人 [神の領域!] [1023回(59939pt)] [2011/4/26(火) 午後10:54:20] |
【伊藤蘭弔辞】ずっとずっと愛しています
スーさん。あなたが旅立つとき、1人で寂しくないように、ミキさんと一緒にあなたの名前を何度も呼びました。私たちの声はちゃんと届いていましたか? 時間がたつほどに大切な人を失った悲しみとさびしさがこみあげてきて、いま、わたしたちはとても困惑しています。
お互いにまだ幼い中学生だったころに出会い、キャンディーズというグループを通して喜びも苦しみもともに分かちあい、すばらしい青春時代を過ごすことができました。スーさんはいつも春のように優しい微笑みで私たちを包み、なごませてくれましたね。
その後の女優としての活躍はいうまでもなく、いい仕事をたくさんして、多くの人たちに感動を与えてくれました。体のことを打ち明けられたときは、『なぜスーさんが』と、悔しい気持ちで一杯でした。本当は辛いはずなのに、いつも3人で会うときは「笑うことが一番の薬なのよ」と言って、明るく楽しい時間を過ごし、反対に私たちの方が励まされていたような気がします。
3人の中では一番年下で甘えん坊だったスーさんが、いつの間にか、強く、頼もしく、心豊かな女性になっていたことに驚かされました。お見舞いに行ったときも、体調が思わしくないにもかかわらず私たちを気遣い、いつものようにユーモアを忘れない、本当にかわいいスーさんでしたね。
愛情一杯のご主人、一雄さんや、スーさんが一番気にかけていたお父さん、お姉さん、そのご家族、そして、いつも側に寄り添っていたマネジャーの丸尾さんの気持ちを思うと、とても胸が痛みます。
私たちはみんな、大好きなあなたの笑顔を、そして最後まで病気と闘い、立派に生き抜いたその勇気を決して忘れることはありません。それを支えに、何とか頑張って生きていかなければと、自分に言い聞かせています。どうぞ私たちのことを見守っていてくださいね。
ただ、もう一度だけでいいから、3人で会いたかったです。約束していたのに果たされなかったのが残念でなりません。だから今はまだ、「さよなら」は言わずにおきますね。いつか会えるときまで、もう少しだけ待っててね。
これからは今までの心配や不安から解き放たれて、どうかゆっくり休んでほしいと思います。ミキさんと私にとって、いつまでも特別な存在のスーさん。心から感謝しています。ありがとうスーさん。ずっとずっと愛しています。
平成23年4月25日 伊藤蘭 ------------------------------------------------------------
【藤村美樹さん弔辞】永遠にキャンディーズ
スーさん、何でそんなに早く逝っちゃったの? おばあさんになるまで恒例の集合写真をたくさん撮りたかったのに。スーさんがいないなんて寂しいよ。
数年前、スーさんからがんと聞かされたときは本当にショックでした。でも、『信頼できるお医者様が付いているから大丈夫』といって、そのことを前向きに受け止めていて、私たちを一時、安心させてくれましたね。
その後も、会うたびに変わらぬ笑顔で、いつも決まって深夜遅くまでお菓子を食べ、お茶を飲みながらおしゃべりをしたよね。心から楽しかった。あのときをずっと忘れないよ。
家族や周りの人には心配を掛けたくないとの思いで病気のことを隠して必死に走り続けた数年間、本当によくがんばりましたね。スーさんのことだから、すごくつらいときにも優しい心配りで、周りの人たちをなごやかにさせ、その場の雰囲気をぱあっと明るく変えたのではないかと想像できます。
最後まで頑張り通したスーさん。惜しくも亡くなる当日も、本当によく頑張ってくれましたね。ありがとう。私もランさんも、もう間に合わないかと思ったけど、3人がそろってからのあの数時間は奇跡でした。
いつもなら絶対に集まることが不可能な人も、親族も、みんなが勢揃いし、スーさんを取り囲んでお話をしたり、代わる代わる声を掛けたり、手をさすったりしました。その、柔らかい手の感触を今でも思い出します。
スーさんは一足先に天国に行ってしまうけど、天国はそれはそれは素晴らしいとこらしいですね。スーさん、どうですか? おばあちゃんとおじいちゃん、(実弟の)かずちゃんやお母さん、まさこちゃん(=夏目雅子さん)にも会えましたか?
神様は、この世のお役目を果たした人をそちらへ呼んでしまうようです。スーさんはもうお許しが出たのですね。これは神様からのプレゼントだってこと。新たな命をいただいて、そちらで幸せに暮らして下さい。
どうやら私たちは神様からお許しがまだ出ないので、スーさんの分まで明るく前向きに一生懸命、誠実に一日一日を生きます。私たちもいずれそちらに行きますので、そちらで待っていてね。また3人で歌いましょう。
本当にキャンディーズは楽しかった。本当に私たちはスーさんと出会えて幸せでした。私たちは永遠にキャンディーズだからね。お揃いのものも大切にするよ。
ありがとう。スーさん。愛してるよ。
平成23年4月25日 美樹 ------------------------------------------------------------
3人は中学時代、東京・奥多摩のキャンプで知り合い、そろって、渡辺プロダクションが経営する東京音楽学院に入学。72年にNHK「歌謡グランドショー」のマスコットガールに選ばれたのをきっかけにキャンディーズを結成、73年にレコードデビューした。わずか4年半後の78年に解散したが、その後、30年以上にわたって定期的に食事会を開いて交流。伊藤が89年に俳優の水谷豊(58)と結婚した後は、2人を自宅に招き、水谷も交えた友情が続いた。 |
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| スーちゃん、最後の声を命がけで遺した…酸素マスク外し3分20秒 |
| 先生@管理人 [神の領域!] [1024回(59998pt)] [2011/4/26(火) 午後11:01:38] |
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人気アイドルグループ「キャンディーズ」の元メンバーで、21日に乳がんのため亡くなった女優・田中好子(本名・小達=おだて=好子)さん(享年55歳)の告別式が25日、東京・青山葬儀所で営まれた。式では先月29日、田中さん自身が病室で録音した約3分20秒の肉声テープが公開され、「キャンディーズでデビューして以来、本当に長い間お世話になりました。幸せな幸せな人生でした」などと語り、約2200人の参列者の涙を誘った。最後はファンが投げる青い紙テープが舞う中、天国に旅立った。
命の炎が消えかかったスーちゃんの、最後の力を振り絞るような声が響いてくると、告別式の会場は静まりかえった。「幸せな、幸せな人生でした。心の底から感謝しています。特にランさん、ミキさん、ありがとう。2人が大好きでした…」。全身全霊を懸けた約3分20秒のラストメッセージ。参列者の多くがこらえきれずに涙をこぼした。
このテープは入院先の病院で先月29日、録音された。スーちゃんと夫・小達一雄さん(56)の2人でメッセージを残そうと決めた。比較的容体は安定していたが、話すのが精いっぱい。死を覚悟しながらも、真っ先に口にしたのは東日本大震災での犠牲者への思いだった。
「私も一生懸命、病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。でも、その時は必ず、天国で被災された方のお役に立ちたいと思います。それが私の務めと思っています」
酸素マスクを外しながらの録音。「映画にもっと出たかった。テレビでもっと演じたかった。もっともっと女優を続けたかった。お礼の言葉をいつまでも、いつまでも皆様に伝えたいのですが、息苦しくなってきました…」。声を振り絞るように「一(かず)さん…よろしくね。その日まで、さようなら」と締めくくると、喪主を務めた夫はこらえきれず、声を上げて泣いた。
告別式にはファン1400人、関係者800人が参列した。小達さんが「女優・田中好子の第1章は残念ながら幕を下ろしましたが、第2章第1幕を本日、今、スタートさせてあげたいと思います。好子さん、いきますよ。第2章シーン1、テイク1、用意!」と映画のカチンコを鳴らしてテープを流し、最後は「カット! OK!」とカチンコを鳴らして締めた。親族もその日まで知らなかった極秘の演出だった。
スーちゃんの声が流れる直前、前日(24日)の通夜に続き、涙雨なのか突然、通り雨が降った。スーちゃんがセンターを務めたデビュー曲「あなたに夢中」が葬送曲として流れる中、1978年、後楽園球場での解散コンサート同様、ファンクラブの会員たちがスーちゃんのイメージカラーである青い紙テープを投げ入れた。「スーちゃん、ありがとう!」車が斎場を出る頃には、再び青空が広がっていた。 |
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