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[No,416] 「江川事件」の小林繁さん死去

先生@管理人 [神の領域!] [744回(43910pt)] [2010/1/18(月) 午前1:16:21]
 1978年11月、巨人が浪人中の江川卓投手と野球協約を無視して入団契約を交わし、プロ野球界を揺るがす騒動に発展した「江川事件」で、交換要員として巨人から阪神に移籍した現日本ハムの小林繁(こばやし・しげる)投手コーチが17日午前11時、心不全のため福井市内の病院で死去した。57歳。鳥取県出身。葬儀・告別式は20日正午から福井市松本4の8の7、千福寺りんどうホールで。喪主は妻静子(しずこ)さん。

 小林氏は鳥取・由良育英高から全大丸を経て72年にドラフト6位で巨人入り。細身の体を目いっぱい使った独特の横手投げで、76、77年にはともに18勝(8敗)を挙げて長嶋茂雄監督の下、リーグ連覇に貢献した。江川事件の際には当時の金子鋭コミッショナーの「強い要望」で阪神に電撃移籍し、1年目の79年には巨人戦の8連勝を含む22勝(9敗)を挙げて最多勝を獲得した。

 77、79年には沢村賞に選出された。83年、13勝を挙げながら現役を引退。通算成績は実働11年で139勝95敗、17セーブ、防御率3・18。引退後は、近鉄、日本ハムでコーチを務めた。

 巨人・長嶋茂雄終身名誉監督「1976、77年のリーグ優勝に大きく貢献してくれたことを鮮明に覚えています。細身の体からは想像もつかないくらいスタミナがあり、本当に頼りがいがある投手でした。正直にいうと、阪神へトレードになったことは残念な思いでいっぱいです。現場の監督として悪いことをしてしまったという気持ちがいまだに残っています。若すぎる、早すぎる最期です」

 ソフトバンク・王貞治会長「短い期間でしたが、阪神で一時代を築いた好投手でした。これから後進の指導や、多くの子どもたちに野球の素晴らしさを伝えてほしかっただけに、まだ57歳という若さで逝ったことは残念でなりません」

 江川卓氏「入団したときから小林さんの成績を抜かないと、と思ってやった。(共演したCMを撮影した時には)すごい元気だった。びっくりしている。その時「お互い大変だったな」という言葉を掛けてもらい、すごくほっとした。申し訳ないという気持ちは一生消えない。一生持ち続ける」

 阪神・真弓明信監督「びっくりした。現役でも(阪神で)一緒にやって、近鉄でもコーチで一緒にやらせてもらった。野球に対して熱いし、いい理論を持っていた。気も使うし、頭の回転の速い人。決して恵まれた体ではなかったが、気で投げる投手だった」

 日本ハム・梨田昌孝監督「会ってから丸1日たっていないわけだから、本当に信じられない。まだ亡くなった感じがしない。1軍で一緒に戦えるのは近鉄以来で、本人も燃えていた。若い芽をどんどん育ててほしいと思っていた」

 オリックス・岡田彰布監督「小林さんとはタイガース入団が同時期だったこともあり、大変お世話になりました。野球に関してもそうですが、プライベートでもよくしてもらったことを今でも思い出しますし、大変感謝しています」

 元阪神・掛布雅之氏「小林さんが阪神に入団された79年は、前年に田淵(幸一)さんが西武へトレードになり、僕が中心になってやらなければ、と思っていた年でした。いい意味ですごく刺激になりました。小林さんに負けられないという気持ちが、その年の48本塁打につながったと思っています」

 ◆空白の1日(江川)事件 1978年(昭53)のドラフト会議の前日となった11月21日、前年秋のドラフトでクラウンライター(現西武)の1位指名を拒否して米国留学していた元法大の江川卓投手が巨人と電撃契約をした。当時の野球協約第138条の「翌年の選択会議の前々日」(11月20日)までに契約できなかったことから、西武の交渉権はこの日で喪失。前日(21日)はどこにも拘束されないことから「空白の1日」と巨人は解釈したもの。セ・リーグ鈴木竜二会長から「契約は無効」とされた巨人はドラフト会議をボイコット。そのドラフトでは阪神が江川の交渉権を獲得した。

 1位指名されながらも江川は金子鋭コミッショナーの「強い要望」によって翌79年1月31日、巨人の小林繁との交換トレードが成立した。2月8日、プロ野球実行委員会はこの交換トレードを白紙とし、「小林は阪神へ金銭トレード、江川は協約通り開幕の4月7日に阪神から巨人に移籍」と決めた。金子コミッショナーは引責辞任。4月7日、巨人江川が誕生した。巨人は一連の騒動について謝罪する形で公式戦開幕から約2カ月、江川の公式戦出場を自粛させた。
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江川卓氏、小林さんに「申し訳ない気持ち消えない」
先生@管理人 [神の領域!] [745回(43969pt)] [2010/1/18(月) 午前1:18:14]
 野球解説者の江川卓氏が17日、東京都内で記者会見した。小林繁氏の突然の訃報(ふほう)に「(2年半前)お会いした時はすごく元気だったので、びっくりした」と目を潤ませ、沈痛な表情を浮かべた。

 球界のみならず社会全体を揺るがした「空白の一日」事件の当事者同士。「申し訳ない気持ちは、僕の中で終わっていない。原因はこちらにある。小林さんが亡くなったからといって、申し訳ないという気持ちは一生なくならない」と思いを振り絞るように口にした。

 事件から28年後の2007年に酒造メーカー「黄桜」のCMで共演。事件以来初めて言葉を交わし、江川氏が謝罪した。「プロに入る時から気になっていた。一番覚えているのは『お互い大変だったな』と声をかけてもらって、すごくホッとしたこと。2人きりで1時間ぐらい話せて、お互いの気持ちを言い合えて、救われた」と振り返る。

 その後は一度も会うことはなかったという。「今年から日本ハムの1軍コーチになると報道されていたし、取材でお会いできると思っていたのに…」と早すぎる死を悼んだ。
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Re: 「江川事件」の小林繁さん死去
先生@管理人 [神の領域!] [746回(44028pt)] [2010/1/18(月) 午前1:29:42]
びっくりですね・・・
中学時代、巨人ファンの友達と中日ファンの俺は試合がある毎に
学校で勝った負けたと話題で、そんな1978年11月のドラフト会議なので
13歳だったかぁ、「小林選手がかわいそうだろう」なんて言い合いしたっけ・・・

昨年、日本ハムの2軍コーチだったなんて知らなかったし
今年1軍コーチに昇格していたなんて!

「本当に早すぎる・・・ ご冥福をお祈りします」
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